戦後日本経済の歩みの流れと一問一答
戦後改革から高度成長、石油危機、バブル崩壊までの流れを確認します。まず流れの解説を読み、一問一答(25問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。
一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。
流れの解説
戦後の改革と復興
農地改革、財閥解体、労働改革は経済民主化の中心でした。傾斜生産方式では石炭や鉄鋼へ資源を集中し、生産の復興を図りました。ドッジ・ラインは1949年に均衡予算などによる安定化を進め、シャウプ勧告は税制改革を提言しました。安定化には急激な引締めによる負担も伴いました。
特需から高度成長へ
朝鮮特需が生産回復を後押しし、1950年代半ばから高度経済成長期に入りました。国民所得倍増計画、設備投資、技術導入、人口の都市への移動などが成長と関わります。三種の神器や3Cの普及は生活の変化を示します。エネルギー革命で石油への依存が高まり、公害や地域間格差も問題になりました。
高度成長では、農村から都市への労働力移動や家庭電化が生活を変えました。所得と生産が増える一方で、都市の過密、地方の過疎、住宅不足、公害などの課題も生じました。三種の神器や3Cは普及の象徴であり、すべての家庭が同時に購入できたという意味ではありません。
国際経済の変化と石油危機
日本は1964年に経済協力開発機構に加盟しました。1971年のニクソン・ショックはドルと金の交換停止を含み、固定相場制が揺らぎました。1973年の第一次石油危機と、1978年末から1979年にかけての第二次石油危機は原油価格を押し上げました。省エネルギーや産業構造の転換が進み、高度成長から安定成長期へ移りました。
石油危機ではエネルギー価格の上昇が生産費と物価へ波及しました。需要不足による不況と、供給側の費用増加による停滞では政策上の課題が異なります。省エネルギー技術、石油への依存の見直し、より付加価値の高い産業への転換などを通じて、経済の対応が進められました。
円高とバブルの崩壊
1985年のプラザ合意後に円高が進みました。輸出産業への影響を和らげる対応などを背景に、地価・株価が大きく上昇してバブル経済となりました。崩壊後は資産価格の下落と不良債権が企業や金融機関を圧迫し、長い停滞につながりました。失われた10年はその時期を表す呼称で、単一の原因で説明できるものではありません。
バブルの崩壊では、担保となる土地などの価値が下がり、借入れを返せなくなる企業が増えました。不良債権処理や金融機関の経営不安は、新たな貸出しや投資にも影響します。資産価格の上昇が生産性の向上を示すとは限らず、金融と実体経済の関係から変化を読むことが重要です。
新しい成長と生活の安定
海外への生産移転は国際分業を広げる一方、産業の空洞化が課題になりました。2008年のリーマン・ショックは世界の金融と実体経済へ波及しました。少子高齢化の下では、労働参加、技能、技術、生産性を高める取組と、所得分配・地域・社会保障への対応を合わせて考える必要があります。
一問一答
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用語から説明を選ぶ(4択)
用語を見て、正しい説明を4つから選びます。似た種類の用語の説明と比べて選びます。回答後に正しい用語との対応を確認できます。キーボードでは1〜4で選べます。